Project Anthem(TCストライカーズ)

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雑記


 迷ってます。


 ・やりたいこと

 ジュエルケースプレスCDの作成
 同人ショップで委託販売


 ・動かせない経費
出展料:7500円
移動費:15000円
 :22500円


 ・動かせるかもしれない経費 
 CDプレス :60000円
 デザイン料 : 3000円
 マスタリング :10000円
  :73000円

  :95500円
 
 300枚作成。一枚1000円で売って96枚でペイ。
 
 
 
 できんことはないか・・・2015年がCDR無料頒布で34枚。今回の制作においてこれ以降の出展も考えればペイすることは難しくないのかもしれないねえ。ただ、自分がこれ以上東方アレンジやれるかが焦点になる。2016例大祭で東方アレンジはひとまず完結させて、それ以降はオリジナルに戻りたいのです。
 

 イラストも音楽もオリジナルをメインに戻したいのですよ。となると、例大祭以降で東方イベに行くことはめったに無いのですよね。委託で取り扱ってもらうか、その他イベントで東方もねじ込むか・・・。


 けど、東方アレンジのプレスしないかぎりはこのやってみたい気持ちは満たされないでしょうね。なんかいいアイデアが出ることをまとう。


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 さて、例大祭まであと40日となりました。


 
 必要数の楽曲は完成し、あとは古い楽曲をちょいちょい手直しをするだけ、と思っていたのですが、自分の半年前の楽曲を聞いて見てびっくり、クオリティ低い・・・。その時点では最高の楽曲を作ったはずなのですが、今聞くとノリが悪い上に、音が濁っていて頒布するには恥ずかしいレベルでした。ここ半年での自分の成長を喜ぶべきなのでしょうが、このまま例大祭に持って行っていいのか悩みどころです。


 手直し、新しく導入したproQを使ってローハイカットだけするつもりでしたが、楽曲の基礎にノリがなく根本から作りなおさないと行けない状態です。数合わせで気に入らない楽曲を収録するよりも、良い曲を少数頒布したほうがあとあと良さそうですね。やはり、純粋によい楽曲を作るという目的以外に余計な感情があると、いい加減な状態でOKを出してしまう傾向にあるようです。


 せっかく途中まで作ったのだから、最後までやりきろうという一見素晴らしそうな決まり文句は得てしてしょうもない結末に成りがちです。私自身の課題です、途中で嫌になったらすぐやめること、ちょうど焼きあがった皿を割り捨てる陶芸家のような合理性が必要なのでしょう。



 最後までやり切るというのは案外不合理なものです。やり切ろうと思った時点で自身はその対象に興味を失っているのです。興味を失うということは先が見えてしまったということ、最後までやったとして求める結果は手に入らない、だからやる気が起きないと私は考えています。と、考えると合理性と生真面目さは相反するのかもしれません。

 
 これまでにかけた時間がもったいないような気もします。ですが、今後かかる時間と秤にかけたら、今やめるのがベターでしょう。


 さて、新しい楽曲に取り組みます。


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 とあるwebアルバムのレビューを書こうと思ってしばらく経つけどなかなか書き出すことができません。なぜだろうと考えているとふと気づくことがありました。それはそのレビューが最終的に批判を含めた物となってしまうからです。


 音楽って一定の水準まではうまいか下手かで評価できますけど、それ以上は好みの問題で、一般的に音が汚いとされる場合でもそれが面白いって場合がよくあります。以前も書いたと思いますけど、テクノと言うジャンルは機材が奏でる無機質な音を逆手に利用して作られています。元々は生演奏家に批判されていたいましたが、新しい世代によって一つのジャンルとして確立されました。

 
 テクノの話はさておき、皆様は音楽を好きか嫌いかって何で判断していますか、私はなんとなくですwww。しかし、なんとなくとは個人の無意識世界に 何らかの働きかけをしているということで、意識に上らない、言葉に出来ない複雑な感情を表しているとも考えられます。

 今回レビューしようと思っている楽曲はそういう類です。まず、初めて聞いた感想は ”恐ろしい” です。作成者ユニットの他楽曲を聞く限りでは、ピアノを織り交ぜたポップな曲、はっきり言ってしまえば特に印象に残らないものでした。それが、個人として作った場合こんなものを作るとはとうてい思えなかったのです。こころの奥底から訴えかけるような、引き釣りこまれそうで距離を保たなければいけないような感覚です。 楽曲タイトルもなんでこんなのがついてるんだろうか、正常な人が選ぶ言葉ではないと思っていました。


 図らずも、その原因は割とすぐわかりました。精神疾患なのです。ならばこのタイトルも納得です。本人は”テキトーにつけた”と言ってますが、テキトーとは無意識からのメッセージなのです。そう思って聞くとこのwebアルバムはまとまりを持ったストーリーに聞こえてくるものです。


  
 しかし、病気を知ってしまったがゆえにバイアスが生じてしまいました。”彼の楽曲には精神の疾患から生じる終わることのない苦悩が表現されている” と勝手に思い込んでしまうことです。



 みなさんご存知の”佐村ゴッチバイアス” ですね。


 彼の楽曲には耳が聴こえないことの苦しみとそこから立ち上がろうとする苦悩と葛藤が表現されている!

 障害を負ったものにしかかけない素晴らしい作品だ!

 被爆二世としての憤りが見事に映し出されている!! 

 
 
的な。

 自称評論家達は大慌てでしょうね。実際にはそんな悲哀は表現されていないのですから。しかし、創作者(らしき人)の境遇を知ることで自然と生まれてしまうバイアスなのです。私は佐村河内楽曲を聞いたことがないのですが、彼の楽曲群はバイアスなしでも素晴らしかったのでしょうか?耳が聞こえないのに、といったん貶めておいたあとで楽曲のよさを評価する、下げたがゆえに上がり幅が大きい、というだけになっていないでしょうか? 


 それとともに、彼が本当にろうあ者だったらよかったのに、と思った人はいないでしょうか?日本が誇る世界のベートーヴェンとして、彼に悲劇のヒーロー的な役割を期待していたのではないかと思います。”耳が聴こえないのにこんなに素晴らしい楽曲を作るとは、自分も彼のように一生懸命に生きよう” みたいに彼を高潔な理想人格に仕立てあげているように感じます。




 今回webアルバムをレビューするにあたって私が創作者さんに思う気持ちは複雑です。苦悩の中で作られた楽曲だからこそ素晴らしい、裏を返せば、彼が寛解した後の楽曲には興味を持てないだろう、彼がずっと幻聴、幻覚に苦しんでいてほしい、苦しみの中で音楽を作って欲しいと思っていないとは言い切れません。また、精神疾患とラベリングし、ブログで紹介することで彼に傷病利得を与えてしまうのではないか、そして、彼と関わりを持っている自分はメサイアコンプレックス(病人の世話をして快感を得ること)に支配されているのではないかとの不安もあります。



 そのようなバイアスを生じさせないためにはやはり、楽曲の形式面で評価するのが最も無難です。”つまらないレビューが多いな”と思うのも納得です。 


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 5/1より名古屋に住み始めました。

 
 今回は遊びに来たといっても過言ではありませんが、一番の理由は環境を変えたかったからです。


 地元にいるままでも、まあまあの豊かで時間のたっぷりある生活をすることはできたのですが、それ故にスコトーマがかかってしまい新しい発想が出てこなくなっていました。現状の居心地いい空間からでる必要など全くないのです。そういう状態だと目標達成へのエネルギーがでてこないばかりか、目標そのものを見つけることができなくなってしまいます。

 
 環境の変更にもいろいろありますが、自分が過ごす時間の長い場所を変更すると大きな変化を得られます。


 職場、住居は生活時間の半分以上を占めるものです。そこを変えてしまうと、いままで見えなかったものが見え新しいきづきを得ることができます。


 
 私自身のはなしで恐縮ですが、私は平日の日中はだいたい図書館にいます。地元は大都市ではないですが、とても綺麗な図書館を有しており、平日にもかかわらず利用者が多いです。地元でこんだけ良い図書館なのだから、名古屋だったらもっとおしゃれだろうと思い早速、図書館を探しに行きました。ところが、私の地元とは比べ物にならないくらい古く、内装も意外に汚いのです。蔵書数もパッと見て多くない。総合的に見て地元の図書館のほうがいいではないか?とがっかりしてしまいました。

 
 インターネットで市内の図書館を調べてみたところ、興味深いことがわかりました。中心部の図書館は築40年程度と歴史が古いのに対し、郊外のは築15年程度ととても新しいのです。おそらく土地を確保しやすい郊外では建て替えが容易であり、中心部では難しいということでしょう。私の地元は地方都市で中心部でも土地を手に入れやすく公共施設の建て替えが容易だったということです。


 
 外部にでることで今までの環境のよさを再認識したり、問題とおもっていなかったところに問題をみつけたりと発見が多々あります。環境を変えて抽象度の高い発想を手に入れていきたいところです。



 

 
 

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